DREAMS (ドリームズ)

TBSの関東ローカルミニ番組 毎週土曜 23:24〜23:30
2003年7月5日〜2005年3月26日

タイトルコール
夢に向かって歩み続ける。幾多なる困難を乗り越えて……。ドリームズ!

エンドコール
グローバルIPソリューションカンパニーのNTTコミュニケーションズがお送りします。
NTTコミュニケーションズがお送りしました。


#86 最終回 2005/03/26 田中孝(たなか・たかし)

 長崎県島原市。雲仙普賢岳の麓で、全国トップクラスのほうれん草生産農家になった田中孝。今では売上が、2億円を超えるまでに成長した。
 そんな彼も、農業を辞めることを考えたことがあった。それは14年前の、雲仙普賢岳の噴火。彼も、被災者の1人だっ た。しかし彼は、避難先の大分で、自分の農業を見つめ直す機会を得た。
 辿り着いたのは有機肥料だった。成長の早いほうれん草を生産するため、3年以上かけて、肥料から自社で開発。すると、 シュウ酸と呼ばれる苦み成分が少ないほうれん草を作り上げることに成功した。それは、生産者ではなく経営者としての考え方だった。
 肥料開発と新たな農業経営。それが、彼のソリューション!

#77  2005/01/22 西川益通 (にしかわ・ますみち)

 大阪市中津。西川益通は3年前、鮮魚をインターネットで販売する会社を立ち上げた。漁 師から直接買い付けることで、新鮮で珍しい食材を、低価格で販売するシステムを確立。現在、200以上の会社と契約するまでに成長を遂げた。
 元々彼は、大手メーカーで25年間、漁船の建造や販売を担当していた。そこで培った、全国の漁師との関係を、最大限に 利用する。
 彼は、契約を結んでいる会社だけに、各地で獲れる海産物の様々なデータを提供する。それによって、各社が旬の魚を、最適な場所と価格で手に入れることができるというわけだ。
 他では真似できない「新鮮さ」、そして「低価格」の提供。それが、彼のソリューション!

#76  2005/01/15 松嶋公美 (まつしま・くみ)

 松嶋公美! 彼女は、マドリッドの人気DJ。
 10年前、日本のFM局のDJを辞め、彼女がスペインにやって来た訳は?
 スペインに移り住んだ彼女は、日本の新聞・雑誌のライターなどをしながら、ラジオのパーソナリティーの仕事を探す。し かし、言葉の壁は厚かった。
 スペインは今、オリエンタルブーム。日本文化を紹介する彼女の企画が通り、DJとして採用された。スペインに来て、8 年が経っていた。
 時流を逃さずチャンスを掴む。それが、彼女のソリューション!

#75  2005/01/08 松尾正男 (まつお・まさお)

 岡山にある「ダイヤ工業」 は、医療用具メーカー。腰部コルセッ トでは、トップシェアを誇る。い草サンダル製造会社を経営していた松尾正男は、親戚 のコルセットが「痛くて使えない」ということを聞き、コルセットの開発を始めた。
 長時間着用にも耐えられるコルセットが完成。しかし、大病院は大手メーカーが市場を押さえ、売れなかった。このため、 個人経営の多い接骨院などに目を付 けた。パンフレットを送り、通信販売で展開すると、意外な反応が返ってきた。
 医師の声を生かし、何百もの改良品を開発。すると、ドンドン売れ始めた。
 さらに、コールセンターを開設して、接骨院とのコミュニケーションを強化。情報を得ながら、常に改良品を開発すること で、年商4,000万円から14億円の会社に成長した。
 医師とのコミュニケーションを通じて、利用者の視点にたった商品開発。それが、彼のソリューション!

#74  2005/01/01 岩崎実 (いわさき・みのる)

 富山県なんと市。急流河川の多いこの町で、岩崎実は、ダムの流木を再利用し、ビジネスに成功。厄介物の流木を砕いて、畜産用敷き材に再生した。
 それは、通気性・保温性に優れ、牛にストレスを与えないものとなった。さらに、牛糞混じりのおが粉に落ち葉などを混 ぜ、培養土やプランターなどの商品を 開発。当初、営業面で苦労した彼も、地域と一体となって販売先を確保した。
 地域とのコラボレーションで、彼のビジネスは、徐々に注目を集めた。
 資源を有効活用し、地域の活性化をはかる。それが、彼のソリューション!

#73  2004/12/25 吉田英治 (よしだ・えいじ)

 今まさに、空前のワインブーム! この業界に、1人の男が挑戦した。
 彼は、ボトルではなく、自由にグラスワインを飲みたいと思った。そして、消費者もそうに違いないと思った。しかし、ワインは栓を開けると酸化が始まり、 劣化していく。
 彼は、ワイン醸造の際、使われる窒素に注目。瓶の口を密閉し、そこを窒素で充満させてコルクを抜くまでは、すぐにできた。しかし、そこから酸素の入らな い栓と入れ替えるのに、2年かかった。ヒントは、回り舞台だった。そうだ、回転させれば良い! 現在、ホテルやワインバーを中心に、業務用として徐々に普及し、会社設立2年目の今年、年商は2億円に達した。
 酸化を防ぐ窒素をキーワードに、商品開発に挑む。それが、彼のソリューション!

#72  2004/12/18 清水一宏 (しみず・かずひろ)

 アメリカ南東部・アトランタは、日本の自動車メーカーなどが進出する工業都市。彼は、アトランタで1・2を争う法律事務所に所属する企業弁護士 だ。
 彼は、日本人の視点からアドバイスを送る。そのスタイルが評価され、現在、30社近くを担当している。
 日本に比べて遅れている「エコ対策」の必要性を企業に提言。日米双方の法律知識だけでなく、様々な社会事情を知っているのも、彼の大きな武器だ。
 専門知識プラス、国際人感覚。それが、彼のソリューション!

#71  2004/12/11 ホセ・トレス・サレザー

 メキシコ北東部に位置するカンクン。26歳の若さで、観光省のメディア担当チームに抜擢された彼は、手始めに派遣されたカンクンを、遺跡が残るリゾート地としてのPRを手掛ける。
 メキシコを世界にアピールするという政府の方針を受け、事業展開や海外メディア向けのライセンス管理など、その全て が、次世代を担う彼らに託された。
 彼らの努力が功を奏して海外メディアが訪れるようになり、観光客も大幅に増加した。
 メディア戦略で観光誘致。それが、彼のソリューション!

#70  2004/11/27 岩宮陽子 (いわみや・ようこ)

 正月飾りを造り、5年で10億を売り上げた「飾一(かざりいち)」。そのスタートは、ワゴン1台で販売した、岩宮陽子の主婦としての発想からだっ た。
 しかし彼女は、露天ではなく、量販店の中で販売することで問題を解消。露天で統一されていた値段も大幅に下げ、身近な正月飾りを造り、大ヒットを生む。
 彼女の水引きは、世界に日本の文化を広めることにも、一役買う結果となった。最近では、水引きの保存性を高める実験の際、偶然発案された加工技術で特許 を取得した。この加工を、紙や木に施すことで、水に強く、汚れても洗える素材になるという。
 日本文化を現代風にアレンジし、消費者の求める物へ。それが、彼女のソリューション!

#69  2004/11/20 奥本秀一 (おくもと・しゅういち)

 コスタリカ北部にあるアース大学は、地球に優しい循環型社会作りのリーダー育成を目的 とし、世界中から学生が集う。カリキュラムの核となる「EM技術」の指導者として、彼は教授として招かれた。
 廃棄物を完全に分解するのが、この「EM技術」。ラテン・アメリカで環境問題の研究実績がある彼に、その普及が託され た。
 この技術があったからこそ、有機農業が確立された。オーガニック・ブームが一時的にならないためにも、技術の普及は不 可欠。
 地球を救う戦士を育成し、世界に送りだす。それが、彼のソリューション!

#68  2004/11/13 中村健一 (なかむら・けんいち)

 東京・人形町。需要の低迷が続く着物業界に危機感を抱いた中村健一は、5年前、この分野で初となる、リサイクル事業を始めた。今までにないビジネスモデルを確立し、現在、国内外に77店舗を持つまでに成長を果たした。
 そんな時、彼は家庭のある場所に注目した。
 彼の元に、全国各地のタンスの中から、毎日、大量の着物や帯が届けられる。そして彼は、買い取った着物を提携工場で徹底したクリーニングを施し、新品同様に仕上げ、今までにない驚くべき低価格で提供しているのだ。
 手の届く範囲での値段設定を。それが、彼のソリューション!

#67  2004/11/06 川上陽介 (かわかみ・ようすけ)

 コンピュータ・グラフィック会社「セルシス」。週に80本以上 放送されているテレビアニメの95%が、デジタルで制作されている。そして、そのほとんどは、セルシスのソフトで作られている。
 もともとサラリーマン・プログラマーだった川上陽介は、1991年、すべて手作業で行われていたアニメに目を付け、会 社を起こした。
 2年かけて、アニメーション支援ソフト「レタス」を開発し、発売。しかし、ほとんど売れなかった。アニメ業界は、元請けを中心に数百社の会社があり、分業で制作していたためだった。
 このため、大手プロダクションを中心に売り込み、ソフトに対する不満は、即、対応して修正。旧来のアニメの質感と遜色 のない、高画質のソフトを実現させ た。
 今では、ほとんどのアニメプロダクションが「レタス」を導入。年商2千万から5億の会社に成長した。
 未開拓分野へのデジタルの適応。それが、彼のソリューション!

#66  2004/10/30 リスベス・サントヨ

 メキシコ北東部に位置し、リゾート地として知られるカンクン。彼女は、大手不動産会社に初の女性マネージャーとして、28歳の若さでヘッド・ハンティングされた。
 前の会社でカンクンの開発の半分を手掛けた手腕が評価されたのだ。その彼女の手法は、クライアントと現場に出向き、疑問や要望に直接対応することだっ た。
 「すべての経験は、次への仕事へのステップ」と、彼女は言う。
 「現場での対応」という確かな技術でクライアントの信頼を掴む。それが、彼女のソリューション!

#65  2004/10/23 阪根勇 (さかね・いさむ)

 琵琶湖のほとり、滋賀県大津。阪根勇は、世の中の常識では考えられなかった製品を開発した。それは……、
 ガラス繊維とフッ素樹脂という、違う素材同士を使い、初めて、完全に燃えない製品を作り出した。
 社員4人からのスタート。失敗続きだった。電気炉などで焼くと、ガラスが劣化。そこで、あまりガラスを加熱しない方法 を模索した。
 失敗から得たヒントを元に、彼は、外側のフッ素樹脂のみを加熱。中のガラスは熱しない方法を開発。2年後には、当時の電電公社から、不燃材料の一社指定 を受けた。また、長野新幹線の内装材料にも採用された。
 失敗の中からヒントを見い出す。それが、彼のソリューション!

#64  2004/10/16 長島博高 (ながしま・ひろたか)

 鋳物の都市・埼玉。長島鋳物は、全国にマンホールの蓋を提供。長島博高は、蓋にデザインを施し、業界のトップランナーに躍り出た。
 人が見てわかるデザイン作りは困難を極め、本物の大きさのレプリカを何度も造り、製品化に漕ぎ着けた。街のカラーを出すというアイデアは、役所や自治体の心を掴み、全国で発注が相次いだ。今では、デザインのない蓋の方が珍しいという。
 現在は、度重なる大雨被害への対策として、蓋が外れないように、ロックがかかる製品を開発。環境に配慮した蓋造りにも着手し、再び大ヒットを生む。
 時代に合わせた製品開発で、ユーザーのニーズに答える。それが、彼のソリューション!

#63  2004/10/09 木原武義 (きはら・たけよし)

 中米コスタリカの首都・サンホセ。豊富な海産物と人件費が安いことに着目し、木原武義 は、日本料理店をチェーン展開する。
 地元の新聞に取り上げられて、一気に日本食ブームの波に乗ったが、チェーン展開する上で一番の課題は、味の統一化だった。
 魚の裁き方から寿司の握り方までを徹底的に伝授。信頼を置ける弟子を、一から育て上げた。
 徹底した味の管理、そして、コスタリカの明日を担う人材の育成。それが、彼のソリューション!

#62  2004/10/02 高橋和志 (たかはし・かずし)

 古くから造船業で栄えていた宮城県気仙沼。しかし、その衰退を機に、造船技術を生かし て建築の世界に挑んだ、造船会社社長、高橋和志。鉄板の「曲げ加工」による、アート感覚の建物を建築。その評価は、海外でも高く認められた。
 そして、彼の経験から編み出された数値を元に、その技術が、新たな成果を生んだ。その技術とは?
 穴を開けた鉄板に、透明のアクリルを冷やして接合。その接合部分は、銀座にオープンしたブティックの外壁を造り上げ た。外壁であると同時に、窓の役割を 果たし、それはまるで、ダイヤモンドをちりばめたイメージになった。
 建築との融合。それは、船の経験と緻密な理論から得たもの。それが、彼のソリューション!

#61  2004/09/25 中村俊郎 (なかむら・としろう)

 石見(いわみ)銀山遺跡にほど近い、島根県大田(おおだ)市。国内外で義肢製造の修行を積んだ中村俊郎は、30年前、故郷でもあるこの町に、会社を立ち上げた。その確かな製品作りで、今では世界各地から注文が相次ぐほどに成長を果たした。
 そんな彼も、創業当時、採算度外視で細部にまでこだわる物作りをしたため、なかなか利益を出せずにいたが、10年前、製品にアートの概念を持ち込んだ 「メディカルアート」という分野を開発。これが、大きな転換点となった。
 「使いやすさ」と「美しさ」の融合。それが、彼のソリューション!

#60  2004/09/18 トーマス・バギンスキー

 トーマス・バギンスキーは、人を飲み込んで巨大化する寺院を描いたアニメ『カテドラ ル』を、3年かけて製作。2002年度アカデミー賞にノミネー トされるほどの作品だ。ポーランドの大学生だった彼は、心の内面を表現できるアニメーションの世界に憧れ、大学を中退。洗剤などのコマーシャルの仕事をしながら、短編アニメ映画を作り始めた。
 しかし、短編アニメの製作は、コマーシャルの仕事との両立で、難しい道のりだった。
 そのため、彼は自分の感覚だけでなく、ガウディの建築や日本のアニメなど、みんなが共感できる表現を取り入れ、作品に生かした。『カテドラル』は、その発想と表現方法が評価され、数々の国際映画祭で受賞した。
 共感を呼ぶ表現で、不安感の克服。それが、彼のソリューション!

#59  2004/09/11 浅井泰夫 (あさい・やすお)

 愛知県名古屋市。この町から、利便性とセキュリティを兼ね備えた製品が生まれた。浅井泰夫は11年前、わずか4人でこの会社を設立。きっかけは、 自ら不便だと感じることからだった。
 不在でも、宅配物を受け取ることのできるシステム。彼は、他社との差別化を図るため、問題点を調べて作った製品に、自信があった。しかし、思うようには普及しなかった。
 導入直後から、誤配などのトラブルが起きたのだ。そのトラブルを、彼は1つ1つ改良していった。誰でも使用できるよう にした、タッチパネルの操作法。また、玄関でも宅配物の有無もわかるようにした。すると、時代の利便性とセキュリティを重視する流れに乗り、一気に普及。 今では、新築マンションのほとんど に設備されている。
 トラブルを製品改良の糧とする。それが、彼のソリューション!

#58  2004/09/04 根来功 (ねごろ・いさお)

 使用済みのペットボトルをリサイクルして、繊維原料のポリエステルを再生する技術を独 自開発。再生 技術など、およそ40件の特許を取得した。リサイクル技術そのものを、海外にも提供、利益を上げながらも、環境保全に貢献する。
 環境改善を国策に据えた中国では、彼のリサイクル・システムの構築が急がれている。
 地球に優しい企業への転身をサポートする。それが、彼のソリューション!

#57  2004/08/21 カトリナ・フォルスチンゲロバー

 カトリナ・フォルスチンゲロバー。世界中のコンピュータソフトを翻訳する会社を経営。 1990年の創立より、年商が70倍の成長率を誇り、ヨー ロッパではトップを占める会社だ。チェコで、単なる言語の翻訳会社だった彼女の会社は、コンピュータソフトに目を着け、東欧の言語で製品化する業務を始め た。
 世界各国から発売される新たなソフトの増加によって、多言語への翻訳の必要性が高まり、受注が急増。そのため、ヨー ロッパやアジアなどの言語に対応した上に、より迅速に、ソフトウェアを製品化しなければならなくなった。
 彼女は、一度翻訳した文書を覚える独自の翻訳ソフトを開発。さらに、言語専門家、エンジニアなど、ソフト単位でチーム を構成し、翻訳の合理化を図った。今では、世界に20以上の支社や提携会社を持つほどの会社に成長した。
 翻訳の合理化による多言語への対応。それが、彼女のソリューション!

#56  2004/08/14 青木崇 (あおき・たかし)

 青木崇は26歳の時に、コロッケフランチャイズ「コロまる」を立ち上げた。彼は、コンテナ式店鋪から始め、わずか6年で78店鋪、年商12億円の会社を築き上げた。現在は信用も付き、商店街にも出店している。青木さん、味の秘訣は何ですか?
 高校卒業後、様々な職を経て辿り着いたのが、ある企業の社員食堂の経営。そこで彼は、家賃タダだったお礼にと、あるサービスを始めた。
 早速彼は東京で、コロッケフランチャイズを立ち上げた。味と値段で、業績は見る見る上がった。
 フランチャイズによる、庶民の味のブランド化。それが、彼のソリューション!

#55  2004/08/07 山本富造 (やまもと・とみぞう)

 ウェットスーツの素材を造り出す『山本化学工業』。山本富造は、25歳で社長に就任。町工場だった会社を、トップ企業へと押し上げた。
 かつて、素材のゴムを軟化させるために、輸入の石油に頼っていた。しかし彼は、国内の石灰石にいち早く目を付けた。石灰石には粘りを下げ、着心地を良くする効果もあるのだ。次第にダイビング人気が高まり、ユーザーから「薄くて暖かい物を」という声を聞く。
 彼は「塗る」ではなく、点状に「打つ」ことで問題を解消。パソコンの印字法から思い付いた発想によって、ユーザーの理 想のウェットスーツに辿り着く。現在では、世界シェア60%を超え、他社を寄せ付けない勢いだ。
 消費者の声と自らの発想との結合。それが、彼のソリューション!

#54  2004/07/31 グジェゴシュ・ブワシュコ

 グジェゴシュ・ブワシュコは、小型装飾品を制作する宝飾デザイナー。チェス盤を題材にした彼の作品は、これまで、アメリカやヨーロッパなどに4万点以上輸出されるほどの人気を得ている。
 彼の初期の作品は高級感があり、上流階級にもてはやされた。しかし、そんな作品制作に対して、彼は疑問を持った。
 彼は、作品をより多くの人に着けてもらいたいと、すべての層に受け入れられる装飾品のデザインを考え始めた。
 1995年、チェス盤をモチーフにしたデザインが完成。それ以来、彼の作品は、幅広い層に売れるようになった。
 大衆の好みの発見とデザインの創造。それが、彼のソリューション!

#53  2004/07/24 田中秀樹 (たなか・ひでき)

 ウナギの人工養殖に携わる田中秀樹は、人工受精した卵から成魚まで、ウナギの完全養殖に、世界で初めて成功した。
 そんな彼が、幼生のエサとして注目したのが、この「サメの卵」だ。
 しかし、これだけでは、体を弱らせてしまった。ウナギの子供の体を改めて調べた結果、消化能力が弱いことを発見。そこで、さらに消化吸収の良い「大豆ペプチド」を、「サメの卵」に混ぜた。
 そしてついに、15年に渡るエサの開発に成功。
 幼生からシラスウナギに体の形を変え、親ウナギに成長した。
 過去の実績の活用と地道な研究。それが、世界の夢を実現させた、彼のソリューション!

#52  2004/07/17 樽見茂 (たるみ・しげる)

 健康食品ブームの中、注目される「豆腐」。樽見茂は、それまで不可能とされていた「天然にがり 100%」の絹ごし豆腐の製造に成功。昨年11月、 豆腐店として初の株式上場を果たし、新しいビジネスモデルを確立した。
 そんな彼は、コストダウンを迫るスーパーとの取り引きを一切止めて、直売店のみ商品を販売するというビジネス転換を 図った。
 4年前に始めた工場直営のレストランは、バリエーション豊富なメニューが女性客を中心に好評で、店鋪数を増やし続けて いる。
 ありふれた物をブランドにまで高める。それが、彼のソリューション!

#51  2004/07/10 ティマール・ブシュケ

 ティマール・ブシュケ。ハンガリー国立舞踊団と肩を並べる、子供の民族舞踊団『チラグセム』の指導者。2003年には、国内最高の賞「ヨーロッパ・ダンス賞」を受賞するほどの舞踊団だ。しかし、ここまで来るには、苦難の歴史があった。
 国立舞踊団のトップダンサーだった彼女は、消え行く民族舞踊を存続させたいと、国立の子供舞踊団を組織する。
 しかし、子供舞踊団は、社会主義時代にはプロパガンダに使われ、また、社会主義崩壊後は政府の方針で、解散を命じられてしまう。
 そこで彼女は、民間の子供民族舞踊団『チラグセム』を設立。「民族」というものをアピールすることで国民に認知され、 今では400人の子供達が所属するほどになった。
 民族をアピールし、新しい世代に伝え続けること。それが、彼女のソリューション!

#50  2004/07/03 矢入一男 (やいり・かずお)

 岐阜県可児(かに)市。多くのミュージシャンを魅了する『ヤイリギター』 がここにある。彼は42年前、本場アメリカから、アコースティックギターのノウハウを持ち帰り、自社ブランド『Kヤイリ』を立ち上げた。しかし、当時はまったくの無名。当然、海外販売は難し かった。
 しかし彼は、1つ1つを丁寧に作り上げ、ギターの見えない部分にも力を入れた。
 彼のギターは、すべてハンドメイド。良い音を追求し続けた。すると、海外の評価は一変。本場アメリカにも認められた。 近年、低価格の中国ギターが流通 し、日本のギター工房は激減したが、『ヤイリギター』は、その時代の波にも飲まれなかった。
 永久保証を裏付ける本物の音の追求。それが、彼のソリューション!

#49  2004/06/26 大木武彦 (おおき・たけひこ)

 処理にコストがかかる廃棄物の炭に着目。これまで、およそ200種類の製品を考案し、 30件以上の特許を取得した、元気印の会社社長・大木武彦。
 炭の保水力を活かした温暖化対策のブロックは、開発当初、強度のバラツキが課題だった。
 環境問題への取り組みなどが評価を得て、関西の目利き企業として認定された。
 自然環境を脅かす廃棄物を有効利用し、利益を上げる。それが彼のソリューション!

#48  2004/06/19 福居篤子 (ふくい・あつこ)

 東京・神田。薬剤師だった彼女は、13年前、お年寄りの薬を飲み込む負担を少しでも和 らげたいとい う思いから、新聞広告に応募して、製薬会社に入社。開発部門に配属された。
 入社5年目。数々の試行錯誤の結果、薬を飲む手段として、水ではなくゼリーに着目した。この奇抜なアイデアに、社長以下、社内の多くは反対したが、彼女は彼らを次々説得していった。
 やっとのことで発売にこぎ着けたこの製品は、シリーズ全体でおよそ1000万個を売り上げる大ヒット商品になった。 13年前、新聞広告で入社した彼女は、この大ヒットで新規事業室長になり、現在、デザインの発案や海外との商品取引も、率先して行っている。
 経験。そこから得る確かな着眼点を製品開発に活かす。それが、彼女のソリューション!

#47  2004/06/12 ソーレン・ハーマンセン

 デンマーク、サムソ島。7年前、「再生可能エネルギーの島」として、国に唯一認定され た。この島で生まれ育ったソーレン・ハーマンセンは、開発プ ロジェクトのリーダー役として活躍している。
 10年計画で進められている、このプロジェクト。2年前の政権交代で、危機が訪れた。
 そんな時、彼は地元住民はもちろん、世界各地の人たちに、自然エネルギーの必要性を訴え続け、融資を募った。島民の大多数が、融資に応じたのだ。また、 エコロジーツアーや講演でも、お金を取ることなどで賃金を稼ぎ出し、プロジェクトを守り抜いた。
 キーワードは「参加」。それが、彼のソリューション!

#46  2004/06/05 井原慶児 (いはら・けいじ)

 カズノコの生産でトップシェアを握る水産加工会社社長・井原慶児は、水産加工廃棄物として捨てられていたサケの皮を原料に、コラーゲンを開発し た。
 この開発、軌道に乗るまで時間がかかった。漁獲高の減少で危機に陥った会社を立て直した実績を持つ亡き父の言葉が、彼を後押しした。
 サケの皮から抽出されたコラーゲンは、食品や化粧品の原料の他、今、再生医療の分野にも、研究が進んでいる。
 世界的な変化を見逃さず、逆境から這い上がった父親の姿を、自分に重ねたこと。それが、彼のソリューション!

#45  2004/05/29 小方功 (おがた・いさお)

 全国の小売店をターゲットに、インターネット上で、あらゆる商品を安く卸す会社があ る。電子マーケット『オンライ ン激安問屋』を作った。
 年間数兆円規模の在庫が発生し、処分される。過剰在庫を早く処分したいメーカーと、少しでも安く商品を仕入れたい小売店を、スムーズに繋ぐシステムを構 築した。
 しかし、メーカーにとって、過剰在庫の存在は、企業イメージを傷つける。企業との信頼を作らなければならなかった。
 そのため、メーカーは匿名で参加するというルールを作り、また小売店のために、徹底的な検品作業を施した。閉鎖的だった流通業界への新たな試みが評価され、年商7億円にまで成長した。
 匿名性と徹底した検品で、商品を流通に乗せる。それが、彼のソリューション!

#44  2004/05/22 内藤淳子 (ないとう・じゅんこ)

 オランダ・アムステルダム。内藤淳子は、「ウィーン・フィル」や「ベルリン・フィル」 と並び称される、ヨーロッパきっての名門オーケストラ「ロイ ヤル・コンセルト・へボー」のバイオリニストとして活躍している。
 8年前、東京芸大を卒業後、技術向上のためオランダにやって来た彼女だったが、ヨーロッパ独特の演奏表現に戸惑いを覚える。しかし、あることによって、 その壁を乗り越えたのだった。
 現地の文科を学び、吸収すること。それが、彼女のソリューション!

#43  2004/05/15 小森信昭 (こもり・のぶあき)

 東京・高田馬場。小森信昭は、4年前、ペットのための健康保険制度を作り上げた。しかし、以前から150社ほどの企業がチャレンジしたが、どの会社もうまく行かない世界だった。
 しかし、1つのきっかけで、事態が好転した。それは、退職金を注ぎ込んで作り上げたソフト。
 彼の強み。独自に開発した「診療報酬明細書」の作成ソフト。受付から、カルテ、会計、請求までを一元的に管理することができる。その他にも、HP上で飼 い主と会社との連絡手段として掲示板を開き、また、会社の雰囲気も公開。そうすることで、飼い主・病院との信頼関係ができ、今では契約が10万頭をこえ る。
 会計の明朗化で客の不安感を解消する。それが、企業飛躍へのソリューション!

#42  2004/05/08 奥園恵美子(おくぞの・えみこ)

 東京・竹芝。女性初のマーケティング部長として、彼女は広告・宣伝戦略を担当。昨年度、東京のベストホテルにまで、大幅に押し上げた。
 その経験を活かし、マーケティングを担当。都心部に比べ、立地条件が恵まれないというハンデを、どうクリアするか課題だった。
 営業戦略の成功と、女性を中心としたチームワークで、東京のベストホテルの評価を得た。
 購買決定権を持つ女性を取り込む。それが、彼女のソリューション!

#41  2004/05/01 ロバート・バード

 水に恵まれた国、オランダ。ロバート・バードは、河川や運河などで厄介者だった“水草”を駆除する研究に、長年携わって来た。しかしそんな時、彼はあることに気付く。
 生産も簡単なことがわかった彼は、3年前、家畜用飼料の会社を立ち上げ、池で養殖を開始。昨年には、「将来有望なバイオ企業」としてEUに表彰された。
 「有害」なモノを「有益」なモノへと導く発想の転換……。それが、彼のソリューション!

#40  2004/04/24 山田メユミ(やまだ・めゆみ)

 東京・乃木坂。化粧品業界の中で、消費者とメーカーの橋渡し役という新しいスタイルを 発信する『アイスタイル』。山田メユミは、クチコミを情報として取り入れた。
 自らホームページを立ち上げ、多くのクチコミデータを集めることで、メーカーが知り得ない生の情報を提供することがで きた。しかし、データを情報に変えるまでには1年を費やした。
 独自のビジネスモデルに共感してくれたクライアントに出会うことで会社は軌道に乗り、ホームページの情報が薬局で生かされるまでに成長。消費者の生の声 が、1つの形として店に並ぶことに一役買う結果になった。販売されている化粧品の中には、彼女のクチコミから広まった ヒット商品もあるという。
 山田の口ぐせ。「クチコミこそが真の情報」。それが、彼女のソリューション!

#39  2004/04/17 新留昌泰 (しんとめ・まさひろ)

 横浜市に建築設計事務所を設立した新留昌泰は、化学物質を一切出さない壁材(かべざい)を開発し た。
 自然素材。そのヒントは、彼の出身地である宮崎県山田町にあった。火山灰であるシラスを、壁材に取り入れたのである。
 厄介物のシラスを社会に役立てたい。そんな気持ちで、試行錯誤の日が続いた。
 アイスクリームの素材が糊の役目を果たし、100%自然素材の壁材が完成。有害な臭いを吸収する機能が実証され、特許を取得した。
 少年時代の体験を今に生かす。それが、彼のソリューション!

#38  2004/04/10 ダーク・セベネル

 数々の高級車が行き交うヨーロッパ。ダーク・セベネルは13年前、車両の診断ソフトの開発に成功し た。大手自動車メーカーのディーラーに頼らなくても、町工場で車の修理が可能となったのだ。
 彼のソフトは、現在10以上の言語に翻訳され、世界各地の車の修理工場で使用されている。そのため彼は、1年の半分以上、海外を飛び回っているのだ。
 製品の開発は今も続く。「最善の打開策の提供」。それが、彼のソリューション!

#37  2004/04/03 桂正典 (かつら・まさのり)

 大阪に、インターネットを使ったマーケティング会社がある。『カンパスカフェ』。カフェと女性をテーマに雑誌社と連動して、会員制WEBサイトを 作った。
 会員の声を集めて、理想のカフェを企画。飲食企業とも手を組み、実際のカフェも開店させた。もちろん、消費者・雑誌・ 企業のすべてが、メリットを感じる状況を作らなければならなかった。
 消費者と企業のニーズ。そのバランスを保つために、社員はすべて女性となった。
 会員の声をカフェに反映させて、店では消費動向を調査。情報の双方向性を成立させた。
 女性感覚を大事にする。それが、彼のソリューション!

#36  2004/03/27 松場登美 (まつば・とみ)

 島根、石見(いわみ)銀山の麓。この町で松場登美は、和の服飾ブランド『郡言堂(ぐんげんどう)』のオーナーデザイナーとして活躍する。しかし、 最初から和装を手掛けたわけではなかった。
 ある時、彼女は、現在の商品に繋がる転機を迎えた。そのきっかけが、この町。それは、生活するこの場所に似合う物を商品にすることだった。
 彼女のデザインは、石見銀山の暮らし。素材選びにもこだわりがある。そのデザインに共感し、多くのファンが付いた。大手の百貨店にも出店。今では、多くの利益を生んでいる。以前、郡言堂を発表する際、展示場に家を再現。それが、百貨店に店舗を出すことにも繋がった。
 石見銀山の田舎暮しを商品にする。それが、彼女のソリューション!

#35  2004/03/20 ソライダ・サルワラ

 ソライダ・サルワラは、10年前、世界で初めて象の病院を設立した。無計画な森林伐採 で住処を追われた象は、行き場を失い、怪我などで死んでいく ものが多かったからだと言う。
 象専門の獣医を探し、病院の土地を探し、さらに、役所からの許可も必要だった。しかし彼女は、それをやりとげた。ソラ イダさん、今一番の苦労はなんです か?
 大好きな象を、なんとかして救いたい。今日もスタッフを励まし、病院の寄付金集めに奔走する。
 実態を知らせ、周囲を巻き込む。それが、彼女のソリューション!

#34  2004/03/13 本多洋介 (ほんだ・ようすけ)

 愛知県に、超音波技術を武器に、確かなる地位を築いた会社がある。
 多角化を目指すには、核となる技術が必要。それが、超音波を制御する“圧電セラミックス”。
 2代目である彼を中心とする開発チームが、業績を回復させた。
 独自の技術を持ち、経営者として「企業の再生」をテーマとした市場開拓。それが、彼のソリューション!

#33  2004/03/06 伊藤麻美 (いとう・まみ)

 多額の負債を抱え、倒産の危機に瀕した老舗のメッキ工場。その再建に立ち上がった伊藤麻美は、創業者である亡き父親の後を受け継ぎ、4年前、社長 に就任
 元々、腕時計が主力で、売り上げ高40億円を上げていたが、メーカーが次第にメッキの生産を、コストの安い中国にシフ トしてしまった。
 この会社にしかできない技術。それは、自社開発したメッキ液をアレンジして、メッキの用途を広げた。曇りやクラック、 いわゆるひび割れが入らない装飾品 や、血管に造影剤を注入する「医療用カテーテル」のメッキ液を開発した。
 そして、社長就任と同時に立ち上げた会社のホームページ経由で、大きな仕事が舞い込むようになった。
 彼女のソリューション。それは、相手が求めているものを受け止め、実現する技術力。これからも、新しい可能性を切り開 く!

#32  2004/02/28 洪 翠娟 (ホン・ツォイグュン)

 ビジネスの街・食の街、香港。13年前、OL生活にピリオドを打って、彼女は、永年の夢だった、香港で始めてのデザート専門レストランをオープン させた。
 中国では当たり前の食事のお茶とデザート。それを単独で楽しめる店が、当時の香港にはほとんどなかった。彼女は、昔ながらのデザートを現代風にアレンジ。そして、好評を得た。
 ブームになったの店は3店舗に増え、その経営に多忙を極めた彼女は、さらなる拡大を求めて、店の経営をフランチャイズ形式に切り替えた。
 伝統と斬新さの結合。それが、彼女のソリューション!

#31  2004/02/21 佐藤裕美 (さとう・ひろみ)

 東京・台東区。多くの玩具会社が集まるこの地で、様々な発想からおもちゃが商品化されている。おも ちゃの開発をする佐藤裕美は、去年、あるヒット商品を生み出した。
 キーワードは「癒し」。自分の考える、見せて癒すということと入浴という癒しを1つに合わせ、お風呂で上下に動くおも ちゃを発案。自らでザインも担当し た。すると、子供や若い女性を中心に、その動きがウケ、ヒット商品になった。近年、おもちゃの売り上げは伸び悩んでいる。しかし、彼女の手掛けた商品は、大きな利益を出した。
 そんなヒット商品を生んだ彼女の発想の原点とは?
 彼女のソリューションは、小さなネタの積み重ね。それが、新たなるヒット商品を生み出すヒントとなる。

#30  2004/02/14 森下篤史 (もりした・あつし)

 不況の折り、注目を浴びるリサイクル市場。6年半前、飲食店向けの中古厨房機器販売の会社を立ち上 げた森下篤史は、わずか5年半で株式上場を果た すという急成長を成し遂げた。しかし、そこで彼は、社員の業績で社長の座を決めようという、前代未聞の企画を思い付くの だった。
 そんな彼は、それまでのリサイクル店とはひと味違うサービスで市場を独走してきた。
 徹底した自由競争原理で、低価格を追求する。それが、彼のソリューション!

#29  2004/02/07 赤澤泰 (あかざわ・やすし)

 カンボジア、アンコールワット。12世紀に造られたこの寺院は、今、ユネスコの救済チームによって修復されている。
 建築会社の設計義士だった彼は、7年前、この神秘的な寺院救済プロジェクトに興味を持ち、自ら参加。修復を続けている。
 当初、石切り場付近に数多く埋められた地雷の撤去を、政府に粘り強く交渉。折衝役も彼の仕事だった。
 赤澤さん! アンコールワットの今後について、どう思いますか?
 作業を続けながら技術を伝える。それが、彼のソリューション!

#28  2004/01/31  有馬あ きこ(ありま・あきこ)

 ネット分野は、ビジネスチャンスがあふれている。
 そんな中で彼女は、学生時代にウェブ制作会社を立ち上げ、大企業から個人企業まで、幅広いクライアントを獲得するまでになった。
 インターネットという切り口から、クライアントのニーズを見つけ出し、実現化。ウェブ制作からコンサルティングまで、 あらゆる側面からサポートし、高い評価を得ている。
 この世界では、クライアントとスタッフの連係が欠かせない。それが、仕事のクオリティを高め、新たなビジネス・フィー ルドを構築する。人脈を培うこと。 それが、彼女のソリューション!

#27  2004/01/24 飯泉雅明 (いずみ・まさあき)

 香港。この街に10年前、珍しい会社を立ち上げた日本人がいる。
 彼は、保険会社の香港駐在員時代に培ったノウハウで、現地従業員の労務管理をサポートする会社を設立した。
 彼の目論見は見事に当たり、10年間で350社を越える顧客を獲得。会社経営の秘訣はなんですか?
 彼は、海外で仕事をするには、家族のバックアップが重要だという。
 人のやらないことをやる。それが、彼のソリューション!

#26  2004/01/17 江口美貴 (えぐち・みき)

 フラワー会の第一人者・江口美貴。ブライダルデザイナー・桂由実さんとのコラボレーションで、今年、パリコレクションに出場。サクラをメインにステージをプロデュースする。
 そんな彼女の仕事は、25年前はファッション業界で、花の仕事に携わっていた。しかし、イメージに合う花がなかったと いう。そして、彼女の発想が、人生を大きく変えた。
 それは当時、常識を覆し、大きな評価を受けた。そして、フラワーデザイナーに転身。
 手作りから始まったフラワーデザイン。他の人には無い感性で常識を変える。それが、彼女のソリューション!

#25  2004/01/10 ロジャー・ネルソン

 アメリカ・アトランタ郊外で、カンガルーに出会える場所がある。子供の頃にオーストラ リアを訪れた彼は、大草原に生息するカンガルーの姿に心打たれた。近年、その数が激減していることを知り、自分の生まれ故郷に、保護のための牧場をオープンさせたのだ。
 環境への適応、人工繁殖の難しさなど課題は多いが、1頭1頭徹底した管理で、蕃殖技術の確率に成功。成長したカンガ ルーを送り出し報酬を得ることで、ビ ジネスとしても成立している。
 野生動物の礎を築き上げるため、見るだけでなく、保護の重要性を感じてもらう。それが、彼のソリューション!

#24  2004/01/03 佐藤みを (さとう・みを)

 佐藤みをは、海外で映画を買い付けてくるバイヤー。
 彼女が買い付けた『デブラ・ウィンガーを探して』は大ヒット。その、時代を見抜く目は、業界でも定評がある。
 年間300本も公開される洋画だが、ヒットするのは1割にもみたない厳しい世界だ。
 彼女が買い付けた映画『真実のマレーネ・デートリッヒ』の宣伝用にドイツから取り寄せた、デートリッヒが戦時中にかぶっていた帽子。これも、作品のヒットのため。
 今年のカンヌ映画祭で買い付けたのが、アメリカの塙校乱射事件を題材にした『エレファント』。買い付け後、パルムドールと監督賞のダブル受賞により、一気に世界中の話題作となった。
 多くの映画の中からヒット作品を見つけ出す情報。それが、彼女のソリューション! 心を打つ映画を求めて。

#23  2003/12/26 石井誠二 (いしい・せいじ)

 東京・大田区を中心に居酒屋チェーンを展開する石井誠二は、今から30年前、札幌でこの仕事のスタートを切った。彼の店は瞬く間にチェーンへと成長。一大ブームを巻き起こす。しかし、ある日突然、提携していた商社から社長解任を告げられる。店を乗っ取られたのだ。
 「前向き」が信条だった。居酒屋への熱意の冷めない彼は、1年余りのブランクを経て、全く新しい居酒屋を立ち上げた。 地域密着型のコンセプトが好評だ。
 常に、店という現場を見つめ、客の満足を求める。それが、彼のソリューション! これからも、愛される店を生み出し続 けていく。

#22  2003/12/19 ロビン・アンダーソン

 フロリダ北東に、天然の泉が湧き出る、美しい場所がある。この泉を使った伝統的なショーを残すために努力する彼女は、ウィキワチの市長だ。町営のショーなので、いわばオーナーである。
 だが、自然のショーに手を加え過ぎ、あまりにも人工的になったため客足が遠のき、経営危機に……。それを町が買い取っ て、現在のショーになった。
 彼女はショーの出演者であった。だから、いつまでもショーの存続を願う。自然との共存。それが、彼女のソリューショ ン!

#21  2003/12/12 澤元教哲 (さわもと・みちのり)

 宮大工・澤元教哲。日本の文化を残して行きたいと、彼は18の時、この世界に入った。今では多くの日本建築を作る彼も、始めの頃は、利益が出ないことも多かった。が、1つのこだわりだけは持ち続けた。
 彼が、どんなことがあっても、こだわったところ。それは、屋根の曲線。
 そして彼は、機能性と美を追求した山車も手掛けた。現代の町並みを配慮し、上山(うわやま)と呼ばれる最上部を上下させ、高さを調節できるように作り上 げた。そうした技術力と独創性が評価され、最年少で、現代の名工として国に認められたのだ。
 線の美しさを際立たせる。しれが、彼のソリューション!

#20  2003/11/29 青戸和乃 (あおと・かずの)

 アメリカ南部の都市・アトランタで、今、日本の伝統・和服をリフォームしたファッショ ンが注目を集 めている。
 初めは、独創的なデザインのため受け入れられなかったが、粘り強いプレゼンと確かな技術で、信用を勝ち得た。
 プロモーションビデオの制作、出演にも自ら参加し、今や、アトランタで5本の指に入るデザイナーとなった。
 タンスの奥の和服が、再び息を吹き込まれた。自らすべてを手掛ける。それが、彼女のソリューション!

#19  2003/11/22 大熊祐子 (おおくま・ゆうこ)

 美容家・大熊祐子が、本格的にこの仕事を始めたのが29歳の時。その後、世界大会で日本人初の3連覇。世界を代表する美容家の1人になった。国際 感覚を磨くため海外で技術指導を受けたが、「言葉の壁」と「文化の違い」に戸惑ったという。
 彼女が心掛けているのは、その人に合った髪型を創作することという。
 そして今、世界に通用するプロの育成にも力を入れている。
 彼女のソリューション。それは、その人ならではの大人の美を追求し、提供していくこと。彼女の挑戦は、まだまだ続く!

#18  2003/11/15 北嶋一甫 (きたじま・かずとし)

 北嶋絞製作所(きたじましぼりせいさくしょ)は、社員28名の小さな会社。工場見学に来た小学生に囲まれているのが、北嶋一甫社長。
 しかし、この工場から、「へら絞り」と言う職人による金属加工の技術で、なんと、宇宙ロケットH2の部品や、巨大なパ ラボラアンテナなど、ハイテク機器 の部品が作り出されている。そのような、特種で数が少ない製品は、「へら絞り」と言う手仕事でないと作れない。そのため、この小さな工場には、日本中のハイテク産業から、次々と注文が入ってくる。
 歩くのも早い早い! 元気な北嶋社長の元、この不景気でも仕事が途絶えなかった。
 目先の利益にとらわれず、赤字覚悟で最高のものを作り続ける。それが、彼のソリューション!

#17  2003/11/08 石川真由子(いしかわ・まゆこ)

 自然豊かなジョージア州アトランタで、石川真由子は、フォトグラファーとして活躍する。
 自分の可能性を確かめるために、実力主義のアメリカへ……。しかし、彼女の中には不安があった。
 「気後れしたら置いていかれる」。その思いを、常に心に留め、クライアントと向かい合ってきた。
 今や、オファーが途切れないほどになった。物怖じせずに仕事に取り組む姿勢、それが、彼女のソリューション!

#16  2003/11/01 クリフトン・カーフ

 京都・祇園。クリフトン・カーフは戦後間もなく、アメリカ陸軍の一員として、日本の土を踏んだ。画家だった彼は、ふるさとミネソタと、あまりにも 違う風景に感動。以来、日本を描き続ける。しかし、無名だった彼の生活は苦しかった。
 昭和37年。ある画廊の主人との出会いが、彼の人生の転機となった。
 木版画との出会いで、彼は大きく飛躍した。神社仏閣が描かれることの多かった当時、大好きな街並を描き続ける彼の版画 は、人々に新鮮な感動を与えた。
 木版画で、日本の街並を描き続ける。それが、彼のソリューション!

#15  2003/10/25 水沢庸一 (みずさわ・よういち)

 未来ある子供達を救いたい。水沢庸一は去年、亀戸に小児科を開業し、今では多くの患者を一手に引き受ける。しかし彼は研修時代、医者として大きな 挫折に直面した。
 そんな時、ある一言で、彼の考えが方が変わった。
 その時、1つの命だけを委ねられているわけではないと、彼は知った。そして今年8月、患者が選ぶ良い病院の中で、彼の病院がNo.1になった。医者として働き出して16年。彼の行動力は、No.1になったきっかけの1つ。そんな彼が見つけたものとは?
 多くの経験で裏打ちされたコミュニケーション。それが、彼のソリューション!

#14  2003/10/18 ハンク佐々木(はんく・ささき)

 カントリーミュージックの本場、テネシー州ナッシュビル。
 ハンク・ウイリアムに憧れ、彼はこの地に、生活の拠点を移した。
 白人至上主義の名残りから、彼の曲がラジオなどでかからないなど、苦難の時期もあった……。
 彼が常に心に留めてきたこととは?
 オープン・マインド、それが彼のソリューション! どんな時も前向きに、歌声を響かせる。

#13  2003/10/11 竹下誠司 (たけした・せいじ)

 ハム作りを始めて17年のキャリアを誇る竹下誠司は、昨年、あるきっかけで、大阪・貝 塚市のハム工房にやってきた。
 彼の高い技術力は、すぐに形となって現れる。昨年、本場ドイツで開かれた「ズーファ 食肉加工品コンテスト」で、金賞 を2部門受賞する快挙を成し遂げた のだ。
 そんな彼の、今後のハム作りにかける思いとは……?
 ハム作りを極めようとする心。それが、彼のソリューション!

#12  2003/10/04 ユノス・ハサニ

 11年前に、駐日アフガニスタン大使館員として来日したユノス・ハサニは、今年、夫婦で、都内にアフガニスタン料理の店を開いた。料理は文化の一端。お客さんも少しずつ、祖国のことを理解してくれるようになったという。
 家族だけの異国での生活。ハサニさんは来日当初、難民申請が認められなかったが、支援グループの援助により、日本で生活できるようになった。
 母国を案じ、彼は今年8月に一時帰国し、カブールを訪れた。
 今度は自らが、祖国の役に少しでも立ちたいと、新たな活動を開始。国から伝統工芸品を取り寄せ、その利益を、支援金にあてる。
 料理を通して、アフガニスタンの今を理解してもらう。それが、彼のソリューション!

#11  2003/09/27 古賀明子 (こが・あきこ)

 イタリア・ミラノ郊外、ピアチェンツァ。古賀明子は、5年前、この街にやってきた。オペラの本場イタリアを、肌で感じるために。そして、イタリアで通用するオペラ歌手になるために。
 彼女は、国立音楽院に席を置き、焦らず、じっくり、イタリアに溶け込んでいった。今、コンクールで優勝するまでになっ た彼女は、徐々に名前も知られるよ うになった。
 肌で感じとったイタリアを歌い上げる。それが、彼女のソリューション!

#10  2003/09/30 梶谷敏夫 (かじたに・としお)

 丹沢の美しい自然を守り続ける、丹沢ブナ党代表、梶谷敏夫。近年、丹沢の環境は、大きく変化したと、彼は語る。
 主な活動として、ブナ林の生態調査などのフィールドワーク、市民向けのシンポジウムなどを行う。
 広葉樹林は、多くの生態系を支える、まさに生命の源。いかに保護を訴えていくのかが、重要なテーマだ。
 現状を調査し、自然保護の意義を訴える。それが、彼のソリューション!

#9  2003/09/13 小埜尾精一 (おのお・せいいち)

 東京湾の一番奥にある干潟、三番瀬。小埜尾精一は、この大いなる海を、単なる保護でなく、人の手による保全を目指している。
 三番瀬の保全活動を行っている団体「NPO三番瀬」では、海の再生方法の一つとして、アマモの移植を行っている。アマモの光合成により、水中の酸素濃度が上がり、水がキレイになるのだ。さらに、藻場にはアサリがたくさん育ったり、小魚が産卵に来る。
 三番瀬の現場から発信する。それが、彼のソリューション! 豊かな海への再生を信じて!!

#8  2003/09/06 アンナ・マリア・リュッチーニ

 イタリア、ミラノ郊外・コモ湖。この湖の畔の小さな教会で、1人の女性が、国の文化財である壁画の修復にあたっている。
 アンナ・マリア・リュッチーニは、修復師になって20年。100を超える壁画の修復を行ってきた。
 彼女の修復作業は壁画だけに留まらず、絵画や彫刻にも及ぶ。
 アンナ・マリア・リュッチーニ、彼女のソリューション。それは、修復師としての確かな技術、そして、芸術作品への愛!

#7  2003/08/16 天野安喜子 (あまの・あきこ)

 多くの人を感動させたい! 天野安喜子は、花火師だった父の背中を見て、花火の世界に入ることを決めた。そして3年前、彼女は江戸時代から続く宗家花火「鍵屋」の15代目を襲名し、今では花火の打ち上げ、配置など、すべてを統括する。しかし、今までには多くの苦労 があった。
 花火の世界に入って10年。彼女が辿り着いた場所とは?
 現代では、多くの花火がコンピューター制御で打ち上げられるが、彼女は伝統を守り、自分の間合いで打ち上げていく。
 その場の空気を読み、自分を信じて1つ1つ決めていく。それが、彼女のソリューション!

#6  2003/08/09 ローラン・タタン

 フランス南部ヴィラレ村。この村で、自然界では絶滅したと言われるモンゴルの野生馬・プルゼワルスキーを見ることができる。フランス生物学会のローラン・タタンは、10年前からこの馬の再生プロジェクトに加わり、世界中の動物園から、わずかに生き残ったこの馬に決めた。
 決して人になつくことのなかったこの馬は、最後まで家畜にならず、押し寄せる20世紀の文明の波の中に、野生馬のまま絶滅した。彼の仕事は、群れが大きくなるまで、野生の力を信じて見守り続けること。
 10年間の努力が実り、来年秋には第一弾として、十数頭のプルゼワルスキーが、ふるさとモンゴルに帰ることになった。 野生を信じ、見守り続ける。それ が、彼のソリューション!

#5  2003/08/02 遊佐雅美 (ゆさ・まさみ)

 海の安全を守るのが使命のライフセーバー。遊佐雅美は、学生時代、運命を左右するある言葉に出会い、この世界に入ることになった。
 彼女は、ライフセーバーの訓練を目的に行われている「ビーチフラッグス競技」で、世界選手権を3度制する、女性の第一人者。ビーチフラッグスを通じてラ イフセービングの世界を知ってもらおうと、全国各地で活動中だ。
 夏本番のこれから、海に来る人たちにライフセーバーとして一言。
 「海の素晴らしさ」、そして「命の尊さ」を身をもって教えること。それが、彼女のソリューション!

#4  2003/07/26 カール・ベンクス

 日本の伝統的な民家を再生したい。そんな思いで、建築デザイナー、カール・ベンクス は、新潟県松代町(まつだいまち)に、生活の拠点を設けた。
 傾きかけた民家を、自ら改築。その、彼の建築スタイルとは?
 ケヤキをくり抜いた洗面台。
 古い和ダンスを利用して、冷蔵庫をカバーするなど、すべて彼独自の手法。しかし、そんな彼にも苦労はあった。
 今では、彼の建築や暮らし方に共感する人も増えた。
 そして今日も、現場に足を運ぶ。
 和と洋の融合した、機能性と安らぎの演出。その建築スタイルこそ、彼のソリューション!

#3  2003/07/19 藤井美帆 (ふじい・みほ)

 1661年、ルイ14世によって作られた「パリ・オペラ座バレー団」。藤井美帆は、昨年このバレー団に、日本人として初めて入団を許された。
 5年の歳月、7回のオーディション。彼女を支え続けたものは……?
 しかし、挑戦はまだ終わらない。オペラ座のスター、エトワールになるには、彼女の上に、まだ4つの段階があるからだ。 エトワールを目指す彼女のソリューション。それは、努力、忍耐、そして精神力!

#2  2003/07/12 岡達也(おか・たつや)

 グラフィック・デザイナー。それは、クリエイティブな世界。一瞬のひらめきを、作品という形に変える。
 イラストレーターからデザイナーに転身した彼。その時、アーティストとしての試練が訪れる。
 良きパートナーであり理解者である、妻の存在も大きい。そんな彼の創作へのスタンスとは……?
 独自の発想で、新たなるジャンルの開拓を続ける。それが、彼のソリューション!

#1  2003/07/05 鈴木織恵 (すずき・おりえ)

 地図に名前が載る仕事がしたい! 鈴木織恵は中学生の時、「瀬戸大橋」完成のニュース を見て、その地域のシンボルとして、人々の生活を繋ぐ橋に興味を持ち、ついには、全国でも数少ない、橋の女性設計師になった。だが、先輩にはいつも怒られる。
 橋造りの現場は、厳しい男社会だ。入社して5年、彼女が辿り着いたのは……?
 彼女が「現場主義」を貫いた成果が、ここにある。
 現場主義。それが彼女のソリューション! 自らの夢の橋を造り続ける。