活舌の訓練に良い外郎売について


「純正生薬製剤 透頂香 ういらう」
神奈川県小田原市本町一丁目十三番十七号 外郎藤右衛門

ここで言う「ういろう」とは、小田原に店を持つ「株式会社ういろう」の “生薬”のこと。見た目は、まんま「仁丹」。純正生薬製剤のため、化学薬剤のような副作用や習慣性は無く、安心して連用できるとか。

その効能は、

「腹痛、下痢、渋腹(しぶりばら)、胃痙攣、慢性胃腸炎、食中毒、吐瀉、吐気、便秘、食欲不振、消化不良、寝冷え、頭痛、眩暈(めまい)、動悸、息切、声の嗄れ、発声過度(こえのつかいすぎ)、咽喉痛、咳、痰のつかえ、心臓補強、気付、船酔、車酔、山の酔、日射病、夏負け、寒さまけ、疲労回復、歯痛、口中 の疾病、その他広く急病に用ひ、又強壮薬として常用す」。

用法は、

「大人一回に10〜20粒、白湯又は冷水にて噛まずにそのまま服用す。(病症重きときは倍量)一日数回服用す。小児は半量、以下之に準ず。更に倍量し回数を多く服用するも害なし。歯痛・口中の患ひには粉にして塗擦す。慢性胃腸弱の人や動悸・息切・痰咳の人の持薬としては一回2〜6粒服用す」。

薬と一緒に付いて来るチラシによると、概略として

「我祖先は支那台州の人陳氏延祐といひ元の順宗に仕へ大医院となり礼部員外郎といふ役であったが明が元を滅すと二朝に仕へる事を恥ぢて我が国に帰化して陳外郎と称した。其の子宗奇が後小松天皇の御世足利義満の命に応じて明国に使して家方の「霊宝丹」を伝へた。効能顕著であったから、朝廷、将軍家をはじめ皆 之れを珍重した。これにより時の帝より透頂香の名を賜はった。透頂香は時と共に益々霊薬の名高く陳外郎の薬と申すところから此薬を外郎「ういらう」とも呼んだのである。五代目外郎藤右衛門定治の時北城早雲に招かれて小田原に来住して以来破風に十六の菊と五七の桐の家紋の附いた「八棟造」の家屋と共に小田原 の名物として有名となった。又歌舞伎十八番の「外郎」としても十返舎一九の弥次喜多膝栗毛によっても遍く知られる処である。ういらうは日本で最古の歴史を持つ薬である。(日本製薬界の初祖)」

とある。それがなぜ、「外郎売」という歌舞伎十八番の口上になったのか?

享保年間、歌舞伎役者の二代目・市川団十郎が持病の咳と痰のために台詞が言えず、舞台に立てず困っていました。その時、この薬「ういろう」の存在を知り服用したところ全快。市川団十郎はお礼の気持ちを込めて小田原まで赴き、こういった薬があることを世に知らせたいと、舞台で上演することを外郎家に申し出ます。外郎家としては宣伝になるので断ったのですが、再三の申し入れに対し、ついに上演を承知。このことにより、市川団十郎の創作による歌舞伎十八番「外郎」の台詞が誕生することになったんです。したがって「富山の薬売り」のように、「ういろう」を実際に売り歩く行商人である「外郎売」は存在しなかったとか。

「ういろう」の店内に置いてあるリーフレット「市川家十八番の内 外郎売 歌舞伎年代記台詞」によると、外郎売のセリフは以下の通り。僕の外郎売と大分違います(笑)。参考までに掲載しました。

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拙者親方と申すは、御立合の中に、御存じのお方もござりましょうが、お江戸を発って二十里上方、相州小田原一しき町をお過ぎなされて、青物町を登りへお出でなさるれば、欄干橋虎屋藤右衛門、只今は剃髪いたして、円齋と名乗りまする。 元朝より大晦日までお手に入れまする此の薬は、昔ちんの国の唐人ういらうといふ人、我が朝に来り、帝へ参内の折から、此の薬を深く籠め置き、用ゆる時は一 粒づゝ冠の透間より取り出だす。依って其の名を帝より、透頂香と給はる。即ち文字は透き頂く香と書いてとうちんかうと申す。 只今は此の薬殊の外世上に弘まり、ほうぼうに偽看板を出だし、イヤ小田原の灰俵のさん俵の炭俵のといろいろに申せども、平仮名を以てういらうと致せしは親方円齋ばかり、若しや御立合の中に、熱海か塔の澤へ湯治にお出でなさるゝか、又伊勢御参宮の折からは、必らず門違ひなされまするな。お上りならば右の方、 お下りなれば左側、八方が八棟、表が三ツ棟玉堂造り、破風には菊に桐のとうの御紋を御赦免あつて、系図正しき薬でござる。 イヤ最前より家名の自慢ばかり申しても、御存じない方には、正身(しょうじん)の胡椒の丸呑、白川夜舟、さらば一粒たべかけて、其の気見合をお目に懸けませう。 先ず此の薬を斯様に一粒舌の上へ載せまして、腹内へ納めますると、イヤどうもいへぬは、胃心肺肝が健やかに成つて、薫風咽喉より来り、口中びりやうを生ずるが如し、魚(うを)、鳥(とり)、木の子、麺類の喰合せ、其の外萬病速効あること神の如し。 さて此の薬、第一の奇妙には、舌の廻ることが銭ごまが跣足で逃げる。ひよつと舌が廻り出すと、矢も盾もたまらぬぢや。そりやそりやそらそりや廻つて来たわ、廻って来るわ。あわや咽喉、さたらな舌にかげさしおん、はまの二ツは唇(くちびる)の軽重、かいこう爽に、あかさたな、はまやらわ、おこそとの、ほもよろを。一ツへぎへぎにへぎほし、はじかみ、盆まめ盆米ぼんごぼう。摘蓼つみ豆つみ山椒、書寫山の社僧正。こゞめのなま噛、小米のなま噛、こん小米のこなまがみ、繻子ひじゆす繻子繻珍。親も嘉兵衛子も嘉兵衛、親嘉兵衛子かへえ子嘉兵衛親かへえ。古栗の木のふる切口、雨合羽かばん合羽か、貴様の脚袢も皮脚 袢、我等が脚袢も皮脚袢。しつかわ袴のしつぽころびを、三針はりながにちよと縫ふて、ぬふてちよとぶんだせ。かはら撫子野石竹、のら如来のら如来、みのら如来、むのら如来。一寸(いっすん)のお小佛に、お蹴つまづきやるな、細溝にどぢよによろり。京のなま鱈、奈良なま学鰹、ちよと四五貫目。おちや立ちよ茶 立ちよ、ちやつと立ちよ茶立ちよ、青竹茶筅でお茶ちやつと立ちや。 来るわ来るわ何が来る、高野の山のおこけら小僧、狸百疋箸百ぜん、天目百ぱい棒八百本。武具馬具ぶぐばぐ三ぶぐばぐ、合て武具馬具六ぶぐばぐ。菊栗きくゝり三きくゝり、合て菊栗六きくゝり。麦ごみむぎごみ三むぎごみ、合て麦ごみ六むぎごみ。あのなげしの長薙刀は誰が長薙刀ぞ。向ふのごまがらは荏の胡麻殻か 真胡麻殻か、あれこそほんの眞胡麻殻。がらぴいがらぴい風車、おきやがれこぼし、おきやがれこぼおし、ゆんべもこぼして又こぼした。たあぷぽゝ、たあぷぽゝ、ちりからちりからつつたつぽ、たつぽたつぽ干(ひい)だこ、落ちたら煮て食を。煮ても焼いても食はれぬものは、五徳、鉄きう、かな熊どうじに、石 熊、石持、虎熊、虎ぎす。中にも東寺の羅生門には、茨木(いばらぎ)童子が、うで栗五合、掴んでおむしやる。かの頼光の膝元去らず。鮒きんかん、椎茸、定めてごたんな、そば切りそうめん、うどんか、愚鈍な小新發知。小棚の小下の小桶に小味噌がこあるぞ、小杓子こもつて、こすくつてこよこせ、おつと合点だ、 心得たんぼの川崎、かな川、程がや、とつかは走つて行けば、灸を摺りむく。三里ばかりか、藤澤、平塚、大磯がしや、小磯の宿を、七ツ起きして早天さうさう、相州小田原透頂香。隠れござらぬ、貴賤群集(ぐんじゅ)の花のお江戸の花ういらう。あれあの花を見て、お心をお和らぎやあといふ。産子這子に至るまで、此のういらうの御評判、御存じないとは申されまいまいつぶり、角出せ棒出せぼうぼう眉に、臼杵擂鉢、ばちばちぐわらぐわらぐわらと、羽目を外して今日 御出での何れ茂様に、あげねばならぬ売らねばならぬと、息せい引張り、東方世界の薬の元締、薬師如来も上覧(じょうらん)あれと、ホゝ敬まつて、ういらうはいらつしやりませぬか。

享保三年正月 森田座にて 二代目市川団十郎 自作自演