オレはグレートマジンガー! 5

辰巳出版70年代TVアニメ検証第二弾「オレはグレートマジンガー!」掲載
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『グレートマジンガー』から垣間見える情操教育
                    神辺宏樹

 『グレートマジンガー』の原作者、永井豪。氏の作 品は、その多くが、必ずと言っていいほど、良きにつけ悪しきにつけ社会を賑わせている。読んだことのある方ならすぐにわかると思うが、それは作品の内容が「タブー」を扱っているから だ。人が生きていく上で避けては通 れない問題のはずなのに、なぜか多くの人は、それを人前では意識的に避けている。したがって、それに敢えて挑んでいる永 井豪作品が糾弾されるのは、当然と言わなければならないだろう。「少年ジャンプ」(集英社)等で連載の後に永井豪初映像作品となる『ハレンチ学園』は、暴力シーンが数多く登場し、ことある ごとに女子生徒を裸にするなど、エッチシーンのオンパレード。スカートめくりブームの火付け役となった。そのためPTA から苦情が殺到し、不買運動まで起 こったのである。
 『グレートマジンガー』の前作である『マジンガーZ』も、戦闘シーンの残虐さや、登場キャラクターの言葉使いの問題な どで、PTAから苦情が来たという。しかし、当時の子供たちには、そんなことはどこ吹く風。毎週日曜日の夜7時になると テレビの前に座り込み、『マジンガーZ』の鉄の勇姿に釘付けになっていた。そして、続く『グレートマジンガー』でも、人類の平和を守るためにスクランブルダッシュで空を駆け巡り、主題歌 同様「悪い奴らをぶちのめす」グレートマジンガーの格好良さに、狂喜乱舞していたのである。
 確かに、戦闘シーンでボスボロットが両手両足を切られたり、ビューナスAが腕を切られ片腕になったり、グレートマジン ガーが敵の首を切り落としたり、後頭部から口にかけてマジンガーブレードを突き刺したりなど、暴力性の強いシーンが存在していたのは事実である。しかし、 画だけを見ればそうだが、作品としての水準で見た場合、子供たちの情操教育上、好ましいストーリーが展開されているのに気付くのである。
 よくよく考えてみると、『グレートマジンガー』の放映された昭和49年当時は、まだ「アニメーション=子供向け番組」 という図式が一般的だった時代。ターゲットとしての視聴者は必然的に子供となり、一緒に見るであろう親のことも考慮に入 れなければならなかったはず。親にも気に入られ、尚且つ、子供に「興味を持ってもらおう」「楽しんでもらおう」「良い子に育ってもらおう」という考えが、作り手側に自然と働いていたのは自明の理である。つまり、当時のアニメーション番組というものは、すべからく「情操教育的」側面を持っていたのである。
 ちなみにスタッフの記憶によると、『マジンガーZ』ではあったPTAからの苦情が、『グ レートマジン ガー』では一切なかったようだ。

●キャラクターへの感情移入

 『グレートマジンガー』の視聴者の多くが子供であることは、疑いようのない事実である。子供たちは、主人公である剣鉄也の格好良い姿に憧れ、鉄也の言動からいろいろなことを学び、成長する。しかし、年上の鉄也の言動や成長過程からよりも、自分たちの年齢と近いキャ ラクターを通しての方が、強烈な印象として脳裏に刻まれる。それは、年齢が近いキャラクターの方が、自分自身と置き換えやすいからである。子供たちはそのキャラクターに感情移入し、番組の中に入り込み、疑似体験さえするのである。こういった子供の行動過程を『グレートマジンガー』でも取り上げていて、年齢の低い子供をメインとした回が数多く存在する。その中から、第7話と第11話、そして第46話の3本を紹介したい。

第7話「救助不可能?! ほら吹き少年の恐怖」
 シローの同級生で嘘ばかりついている野村信一は、人気者のシローに対抗するために、「僕の家にはでっかいロボットがあるんだ」と、またしても途方もない嘘をついてしまう。だが、嘘から出た誠で、その嘘に合わせた戦闘獣グレシオスが出現。 「どんなもんだい」と信一は得意満面になるのであるが、腹部の高熱になる檻の中に閉じこめられてしまう。「ごめんなさい。もう嘘はつきません」と叫んでも、どうにもならない……。
 「嘘をついていると本当の時に信じてもらえない」という、絵本などで子供たちにも馴染みのある童話、『イソップ物語』 の「うそつきの少年」的なお話。自分の嘘が招いたことで悲劇に陥るというパターンである。『イソップ物語』は動物が主人 公の寓話集で、古代ギリシアのアイソポス(英語でイソップ)が物語ったとされている。かなり古いお話で、紀元前6世紀頃に流布され、紀元前3世紀頃にまとめられたものだとか。これだけ古い話だと、子供たちにとってはかなり現実離れがして、あまり説得力がないかもしれない。しかし、大好きな『グレートマジンガー』で「嘘をついてはいけない」 と諭されるのは、ひと味もふた味も違うのではないだろうか。
 ところで、嘘をつく子というのは、よくクラスに1人はいるものだ。そのためにいじめられ、仲間外れ的存在になってしま う。なぜ頻繁に嘘をつくのだろうか。しかも、すぐに嘘とわかるような嘘を。注目を浴びたいのか、嫌われても、いじめられ ても良いから他人とかかわりたいのか、それとも本当にいじめられたいだけなのか。理解に苦しむ事柄である。しかし、人は誰しも多少の嘘はついてしまうもの。子供に限らず、大人でさえそうである。否、と言うより、大人になってからの方が巧妙な嘘をつくから始末が悪い。「嘘はいけない」と諭す大人の方が嘘をつ くというのは、なにやら矛盾を感じ てしまう。
 以前は、他人の子供でも注意したり、叱ったりしたものらしいが、現在は、自分の子供さえ叱らない過保護の親、叱り方がわからないため、子供を叱ることができない親が多いと言う。親が、子供にきちんとした教育をできないのである。『グレー トマジンガー』放映当時は、ちょうどその走りだったのではないだろうか。家族構成の最小単位である核家族が増え、子供の出生率が低下方向に向かい、両親の共働きで「カギっ子」という子供たちが増え始めた時期……。
 現実問題として子供が嘘をつくなどの悪いことをした場合、多くは、泣いたり謝ったりすれ ば許してもらえ る。それなの に、罰として戦闘獣に閉じ込められ、泣いても謝ってもどうしようもないというのは、かなりのインパクトだったに違いない。トラウマとまでは言わないが、子供たちにとって非常に恐ろしい内容だったのではないだろうか。
 ちなみに信一は、剣鉄也とグレートマジンガーの活躍により、無事救出。自分の嘘つきを詫びてシローと握手を交わし、 ハッピーエンドで幕を閉じる。「嘘をついてはいけない」という他に、素直に謝る心、そして、それを許す心と友情を扱った、心温まる教訓話だった。

第11話「目覚めろシロー!! 愛なき戦いの結末!!」
 ボスたちとケンカに強くなる特訓をしたシローは、たった1日で強くなったと感じ、その強 さを誇示したくて 小動物いじめ をする。そしてまずいことに、特訓をするきっかけとなった前日の3人の悪ガキたちを倒し、復讐を果たしたシローは、更に 自分の強さに良い気になって傍若無人な振る舞いをし、神父さんの言葉にも耳を貸さない。そこへ、いじめた小動物がやってきて……。
 この回は、男としての強さを履き違えてしまい、単なる乱暴者になってしまったシローを戒 める話である。女性の読者には申し訳ないのであるが、男性諸君は自分の子供の頃のことを思い出してみてほしい。というのは、「腕力が強い」「度胸がある」「危険なことを軽々とできる」 ということが、男の勲章みたいなものではなかっただろうか。そういうことのできる男の子に、憧れや尊敬といった念を抱 き、大きくなるにつれて憧れの対象が、腕力より知力に移行していったと。テレビゲームなどのお金のかかる遊びがほとんどなかった当時の子供には、相通ずる ものがあると思うのだが。
 しかし、腕力の強さに限らず、こういった思い違いをして調子に乗ってしまい我を忘れるというのは、よくあることである。そして、なかなか自分では気付くことができない。「愛の心を失った人がいくら強くても、それはただの乱暴者に過ぎません。強さを自慢する者は、きっと 罰を受けます」という神父さんの言葉を身をもって経験したシローは、「鉄也お兄ちゃんを見直しちゃった。自分のことより も周りの人のために戦ってるんだも ん」と反省し、また少し成長したのである。この回を見た視聴者の中に、「自分はシローのように調子に乗っているので は?」と気付いた子供の数は、少なくなかったのではないだろうか。
 真の強さというのは腕力ではなく、優しい心。しかも、自慢するものではないということを 教えてくれた回である。

第46話「闘魂!! この命燃えつきるまで!!」
 異常なまでに「強さ」に執着する浜川陽一少年は、父親の実験中に起こった不慮の事故で放射能を浴びてしまい、残りわずかの命。戦いで「死」という見えない恐怖を植え付けられた鉄也は、幼い陽一が「死」と向かい合っている姿を知り、自らの恐怖心を払いのけ戦闘獣に勝利する。だが悲しいことに、戦闘から戻った鉄也を待っていたものは、勇気を与えてくれた陽一の死だった……。
 子供たちの憧れである鉄也が、死の恐怖に怯える姿。それほど怖い死というものを、幼い陽 一が正面から見据え、力強く生き、そしてまっとうするという、生命の尊さを扱った回である。
 最近のアニメーションを見ていて気付くことだが、登場キャラクターが死を迎える作品が少ない。あったとしても、死に至 るシーンが描かれていなかったり、しばらくして生き返ったりする。猟奇犯罪を助長しないための制作サイドによる自主規制 と思われるが、これは良いことなの であろうか。
 戦後、日本は高度経済成長を迎え、人々の暮らしぶりは豊かになった。戦争の心配がなくなり、また医療技術 の格段の進歩により、死亡率が減少。マスコミの発達から、若者は華やかな都会の生活に憧れ、都市部の人口は増加の一途をたどり、家族構成が「大家族」から「核家族」に 増えていった。こういった時代の移り変わりにより、人々は「死」というものに直接向かい会う機会が少なくなってしまっ た。
 昨今、若者の「いじめ」「自殺」「殺人」という文字が、新聞やニュースで取り上げられな い日がないという くらい賑わい を見せているが、それは、生命の重さを理解できていないからではないだろうか。人間形成の大事な時期である幼年期に、実生活や虚構の世界から「生命の尊さ」を学ばなかったからこそ、簡単に人を傷つけたり、自らの生命を絶ってしまうのではないだろうか。「生」と「死」とい うものにきちんと向き会うことなく育ったたがために。そういう意味で言うと、この当時のロボットアクション作品は、戦いで敵味方関係なく傷つき倒れ、視聴者である子供たちに「生命の尊さ」 を教えてくれたのではないだろうか。
 中でもこの回は、戦後の高度経済成長による工業の隆盛、道路建設が生み出した弊害である 「公害病」が、訴 訟問題にまで 発展していた時期である。公害を放射能に置き換え、婉曲的に公害と生命とを問いかけた意義のある回だったのではないだろ うか。

●子を思う親の愛、親を思う子の愛

 以上のように、各話毎に様々な教育的見解が込められているが、物語全般を通して特に強く語られていたものがある。剣造を父に、鉄也、ジュン、甲児、シローという、血の繋がりのある者とない者とで構成された家族を扱った、「家族愛」である。その最たるものが、第 43話と第44話の2話完結話と、最終回である第56話で訴えられている。
 人類の平和のために働く剣造を父に持つシローは、普通の親子のようなコミュニケーション が取れない。そのために起こる心のすれ違いによって、第43話で、「僕には楽しい日曜日なんかない。お父さんはいつも仕事。おまけに僕の存在を認めてくれない」と、ロボットジュニアで出撃し、人質になってしまう。そんなシローを、剣造は危険を顧みずに救出に向かい、出撃の理由を聞いて、「寂しいとか悲 しいとか自分だけの気持ちで行動せず、大きな目的に向かって進め。つらくても耐えなくてはいけない」と、一喝するのである。どんなに忙しくても、また、どんなに危険であっても、子供を助けるために来てくれて、間違いを正し、諭すのである。この父親としての剣造の真剣さが息子に通じないはずがなく、シローは自分の過ちを素直に反省し、すぐに 成長を見せるのである。まさに、理想的な親子の姿が描かれている。
 そして、その子供に対する剣造の愛情は、血の繋がりなどに関係なく、全ておいて平等に注 がれる。最終回の 第56話では、剣造の実の息子である甲児の登場で感情的になり、甲児の危機にすぐに出撃しなかった鉄也を、命を投げ捨てて助け、子供たち全員に親の愛、そして人の道を教えてくれるのである。「鉄也君は本当の子供と同じなんだ。甲児、誰にも温かな気持ちを持つんだ」と。剣造は、鉄也の孤児としてのコンプレックス、常に 寂しさや不安が同居していたことを理解した上で、本当の息子として認識していたのだ。
 血の繋がりがあろうがなかろうが、親子であれば、どんな障害も関係ない。いついかなるこ とがあっても、親は子供を信 じ、愛しているのである。普段はそんなそぶりなど見せないとしても、いざという時には自分の命に代えても守り、諭してく れる。子供を叱る時も、それは憎くて怒っているのではなく、良いことと悪いことを教え諭すため。愛があるからこそ真剣に怒り、自分の命を犠牲にできる。そして親が真剣だからこそ、子供の方もきちんとその親の愛情を汲み取ることができる。

 「俺のいたらなさを許してください。所長は甲児君やシローに劣らない愛情を示してくれ た。命を懸けて大きな愛を教えてくれたんだ。孤児の境遇を恨みながら、シローや甲児君を孤児にしてしまった。俺の浅はかなみなしご根性が……」と、鉄也が、「お父さんと暮らした日々は短かったけど、とっても楽しかった。困らせてばかりでごめんなさい」と、シローが、それぞれの思いを胸に、立派に逞しく成長していくのである。

 人としての道を、家族のあり方を、そして愛を、教育的解釈のもと、子供だけでなく、親と子の両方に伝えてくれた 『グレートマジンガー』。この作品は重厚な人間ドラマとして、子供の情操教育に、一役も二役も買っていたと思う。



藤川桂介
 昭和9年6月16日生まれ。東京都出身。慶応大学在学中に放送作家としてデビュー。その後、 ドラマ、特撮、アニメー ションの脚本を手掛け、小説も執筆。脚本家としての代表作は『怪奇大作戦』『宇宙戦艦ヤマト』『六神合体ゴッドマーズ』。小説家としての代表作は『宇宙皇子』。近著に『シギラの月』がある。

●前作から引き続いて『グレートマジンガー』の脚本を担当なさっていますが、あの劇的な交代劇という のは、どのよ うにして生まれたんですか?
 東映との相談の上です。『マジンガーZ』を長くやってきたものだから、グレードアップし ないと面白くないんじゃないかとか、時代の要請とかがあって。スポンサーからの要請もあったかもしれないけど(笑)。で、東映から「交代させたい」と言われて、「どうするの? 引退さ せちゃうの?」という話し合いの中で、すり替わる形になったんです。
●時代の要請というのは?
 脚本を書く側から言わせると、変えろと言われた時は、時代の流れやいろんなものを背負い 込んだ上で来るのね、局から。 『マジンガーZ』の時代は、田中内閣で、日本が勃興してる時。だから街を破壊しても、爆発的なパワーの1つとして、みんな目をつぶってくれるというか、咎 めることはなかった(笑)。ところが、『マジンガーZ』から『グレート』に変わっていく時にね、三木内閣に変わったんだよ。内閣の在り方とアニメーションというものがね、関係なさそうで、実にあるなぁと思った。三木さんになった途端、局から街を壊すなって。田中さんの日本 列島改造論でドンドン改造してた時代から、急に反省期になるわけ。『マジンガーZ』の時は研究所が町中にあったわけだから、敵が攻撃に来たら街を壊すじゃない。それが急に、無闇に街を壊す 、公害に値するようなことはやるなと。当然、番組に影響するから設定を変えなきゃいけない。時代の要請が微妙に影響してくるのを背負いながら性能アップして、果たして面白いのかと、非常に『グレート』は大変だった。書いててわかったんだけど、一見、グレードアップすると良さそうじゃない。ところが、段々つまらなくなるんだよ。するとね、「やっぱり『マジンガーZ』は良いな」と思うんだよね(笑)。確かにグレードアップして、スピードもアップし、パワーも付いた。でも、メカの方が重点的になると、人間が入り込む余地がなくなるわけよ。そうすると、知恵を絞ったり、工夫したりして敵と戦うという、その辺の面 白さがなくなるんだよね。人間が知恵を絞りながら敵と戦うから面白いわけだし、戦っていく間に、ボスみたいなバカが出てくるからまた楽しいんだよ。そういう部分が排除されてしまう。お話作りとういう点で言うと、人間の肌触りが残ってる方が、面白いのが出来ると思うんだよね。
●そういう制約の中、どのような工夫をなさったんですか?
 敵をどうするかになるわけよ。地上に降りてきて戦うわけにいかないから、研究所も移せってことになるわけ。街にあるから街を壊さざるを得ない。で、街のないとこに移しちゃう。そうすると、敵が襲って来ても、アクションで見せて迫力を出す ための場がないじゃない。原っぱで戦っても、面白味がないじゃない(笑)。するとしょうがないからさ、空へ出て行くしかないわけよ。すると、段々人間の生活から離れて行くんだな。『グレー ト』になってからは、脚本家としてはつらかった。本来のアニメーションの面白さみたいな、爆発するエネルギーみたいな発散どころが段々なくなるんだよね。 難しいっていうか、燃えてこないのね(笑)。街も壊れるけどさ、そういう中で助け合ったり、うまくいったぜ! っていう喜びが良いんだよ。だから、空での戦い方を工夫するか、人間ドラマの方に行くしかないんだよね。『グレート』になると、プロフェッショナルが登場しちゃうでしょ。プロフェッショナルが出ちゃうと、慣れきっちゃうだろ戦闘に。しかも、学生でプロフェッショナルとはちょっと言いにくいから、年齢を上げなきゃならない。すると、やっぱり人間ドラマに行かざるを得ないじゃない。やっぱりね、原点が一番良い。『マジンガーZ』だけでなく、他の場合もそうですよ。続 きを書くと、たいていダメなんだよ な(笑)。作り手はさ、最初に良いもんドンドン出しちゃうでしょ。だから、細工しようとする分だけ、いろいろな意味でパワーが落ちちゃうんだよ。続けろって言われると、本当に苦しい。爆発して行く力がなくなるんだよね。
●『マジンガーZ』の話になってしまうんですけど、ボスがすごい人気を得ましたが、あの人気は偶然だったんですか?
 僕は狙ってましたよ(笑)。なぜかね、あぁいうキャラクターを書くの大好きなんだよね。 とにかくボスが好 きだったんだ よ。あのアホらしいところがすごい好きでね。書いててドンドンドンドン膨らんじゃった人だから(笑)。初めは、「極普通 の三枚目のキャラクターが付いてます」って、そのぐらいの認識だったんだよね。でもやってるうちに、こいつを上手く使わないと面白くないと思ったんだよ。 思いっきり生かすことを考えたんです。ボスが『グレート』に出たのも、いかに人気が出たかだよね。あぁいうのがいないと救いがないのよ。プロフェッショナルとプロフェッショナルの戦いになるとホッとできないし、人間ドラマの方に持ち込んだから、楽しんで息を付くことも出来ない。アハハハって笑える部分がないじゃん。ボスは大事な役割だったよね。
●藤川さんでなければ、あそこまでのボス人気はなかったと言えますよね。
 う〜ん、どうかな(笑)。でも恐らくね、違うボスになってたとは思う。そのぐらい、ボスを好きになっちゃったもんだからね。初めは戦闘にも参加しないという、あまり重要な位置にいなかったからね。でも途中から、ボスは欠かせない役割になったよね。
●ボスのおネエ言葉や、登場の掛け声も藤川さんなんですか?
 あれはね、声優さんが作ってる。僕らあんな台詞書いてないもん(笑)。声優さんが工夫したんだよ。その内、アフレコで そういうのが出てくるから、だったらそういう風にしようねってなって。それはやっぱり、声優さんがそういう台詞を思わず 吐いてしまうほど、あいつが動いてたんだと思うんだよな。雰囲気を出してたと思うんだよ。だから思わず出てくるんだろうね。
 僕はね、原作者がいる場合は、原作者が何を狙っているのかをきちんと把握するのが、ライ ターの一番大事な ことだと思うんだよ。どういう形にして書くかはこちらの問題だけども、まず原作者の気持ちみたいなのを、マジンガーならマジンガーを作った思いというものを理解して、それを表現するにはどうやったら一番良いのかを考えますね。よく豪ちゃんが、「『マジンガーZ』は藤川さんと出会って幸 運でした」と言ってくれるんだよ ね。そういう意味じゃ、マジンガーを理解して書いたと思ってる。『マジンガーZ』の時にね、家の前をお父さんと子供が 『マジンガーZ』の歌を唄いながら銭湯に行くんだよ。僕、家で書いてるだろ。その前をお父さんと子供がね、「マジンゴー」って言いながら歩いてるんだよ。これはもう嬉しかったね。こんな風 に、僕らが書いている番組を見てくれてるんだなぁと。だから『グレート』に変わった時に、それなりに最期までまっとうし たいと思ったのね。無様な形でマジンガーを終えたくない、なんとか良い思いを残しながら書きたい。良いイメージのままで終わりたいと。僕はね、『マジンガーZ』の素朴さが洗練されて、少し大人になった形で描かれているのが、『グレート』だと思うんだよな。僕の中で『グレート』は、『マジンガーZ』の続きだ と思ってる。別物とはあまり思わないんだよ。もしグレードアップだけがあって、いろいろな制約がなかったら、また違ったと思う。もしかしたら爆発したかもしれないんだよ。
●『マジンガーZ』を超えたもしれない!
 超えたかもしれない(笑)。そういう面白さは、ちゃんと用意したんだよね。豪ちゃんの方 も、そうした理由でデザインを 考えたと思うのね。破壊していけないとかは別にして。制約がなければもっと面白くなったと思うよ。戦闘慣れした奴が出て きてさ、その面白さみたいなものがやれたら、『グレート』をもっと面白くすることはできたはず、という思いはある。『グレート』はもっと魅力的だったんだよ。せっかくパワーアップしたの に、なんでそれを生かすことができないのかというのが、悔やんでるとこだなぁ。せっかくあれだけ夢燃やしたのに、爆発で きないまま終わるというのは惜しい ね。見てた人は楽しかったかもしれないけど、作ってた方は苦しみながら作ってたんだとわかってほしいな。非常にマジンガーを愛するが故に苦しんでいたということをわかってくださいと(笑)。
●藤川さんにとって、マジンガーシリーズとは?
 アニメーションに関わって良かったなと思う作品。自分の中にある夢みたいなものを、こんなに広げられるのかというのを 知った、原点になった作品だなぁ。当時のスタッフに会うとね、今もみんな楽しんでるんだよな。仕事として会っても。マジ ンガーは、そういうスタッフばかりの良い時期の作品だったと思う。みんな燃えてたから。そういうエネルギーを結集したものってのは、見た人の心の中に残っ ていくじゃない。今、あんまし楽しそうじゃないんじゃない(笑)。特撮やアニメーションの人に会って話を聞くと、スタッフ側の仕事に取り組む姿勢が、全然 違ってるんだよね。今はほとんどが分業でしょ。システム化された中で、請け負ったとこだけやれば良いんだっていう姿勢が見え見えだって言うんだよ。私はここを請け負ったんだから、それ以外 は知りませんみたいなとこが。そういうもの作りやっちゃあね、白けちゃうぜ。そうなっちゃったらさ、なんか1つの作品を作りながら、みんなで燃えてる感じがしないじゃん。番組に関わった楽しさみたいなものや、「俺は関わったんだぜ!」というプライドみたいなもの、そういうのがないじゃん。それだったら「金だけもらうためにやってんのかよ!」ってなるでしょ。そりゃもちろん仕事だから、お金はやっぱり大事だよな。もらわなければいけないけれど、もらう以上は ね、もの作りの人間として、夢みる部分とかさ、燃えたい部分はあるじゃない。みんなで燃えようよっていうのがチームワークの良さだろ。映像作ってて、それがないんじゃつまんないじゃない。それやってちゃ燃えてこないよな、やっぱり。関わった人がみんなカーッとなって燃えてくところが良かったんだし。だからね、若い人たちに仕事の仕方っていうのを教えて上げたい。仕事はどう作るものなのか、どう取り組むべきなのかって言うこ とを。もし身を引くとしたら、そういうことを教えた後で引こうと。そうじゃないと寂しくなっちゃうじゃない。僕ね、そろそろ映像の仕事にも加わる予定なんです。そういうことをつくづく感じるんでね、その時は徹底して、みんなで燃えていく作品をやってみたいと思ってるの。あの頃のもの作りの良さを残しながら、新しい時代の感性を「ぶち込む」っていうのが、僕の考えなんだよね。昔のまんまやれって言うんじゃなくて、昔の仕事の仕方の原点をちゃんと押さえて、新しい感覚を盛りなさいっていう。これからのもの作りは、もう一回原点からね、ものを作る人たちが燃えてかかってくること。そのためには、何と何を、みんなが協力してやらなければならないのかということをね、もう一度認識し直すということが大事だと思うんだよね。

平成11年12月16日。世田谷区内のご自宅にて。